忍者ブログ
in kyoto, in NewZealand, in Oz land, be in adventures, is the life of mine at this moment
[244]  [243]  [242]  [241]  [240]  [239]  [238]  [237]  [236]  [235]  [234
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

その、薬の話と同時に 自分のための「幸せ」の定義を知ることができた(と、思う)

私にとって、幸せは、割といつも感じているもので、これは「恵まれている」という表現の元にあると思っています。だから、今ここに生きていること、これまでの歩みに満足していること、自分の成すことと、それによって恵まれた人間関係を感じること、何かものつくりや表現をしている時、
すべて幸せでした
だから、落ち込むことがあっても、また浮上するときを待つことができた。

ただし、悲しみや落ち込みや、苛立ちの感情を払拭しきないとき、それを人にぶつけるとき、
ふさぎ込みを操作できないとき、
は、有ります。有り続けます。

そんな中で気付いたことは、「私にとって、『あなたを幸せにしたい』だの、『あなたを助けたい』は響かない」ということ。
私には、助けてほしいと頼んだ覚えなんてない、という無駄な自尊心がいつもくすぶっている。
同様に、「幸せにほしいなんて思ってないし、そもそも私は、今のままで充分幸せよ」とひねくれている。
さらには(自分の状況やスキルではなく、自分が) 良くなること について、興味をもっていないんだな、ということを昨日知りました。
言い換えれば、「他者より自分が恵まれている」ことに恐れを持っている。これは、中学の時に強く感じて、今も忘れていない思いです。
また、自分がポジティブで居続けることに対し、落ち込みを感じるひと、悲しみを抱く人、心が不安定な人、を置いてけぼりにするような感覚がつきまとうことがいやだった。私だって、落ち込むと ひどく沈んでしまう人間だったので、ある種これを特権とし、「傷をなめ合う」はそれでも好かなかったけど
彼らを理解できるための要素だと思っていたためでした。

高校や、大学まではこれが有効だったと自負します。
けれど、
けれどね、
本当に不安定なひとたちは、元気になるときびすを返してサヨウナラ していきました
私の行動なんてなかったかのようにね。

だけど私は恨んだりはしないし、(悲しいけど) それで自然だと思った。
そもそも、そういった状況にちからを添えたいと思った時点から、「ありがとう」だとか、「あなたのおかげで」なんて期待するべきではないことは、なぜか感覚的に知っていたから。

と、いうわけで、この歳になると、自分が同じく沈む人間で有り続けることに 無駄を感じてきた訳です。

本題に続きます。


PR
COMMENT
name
title
text
color   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
mail
URL
pass
secret
PREV ←  HOME  → NEXT
プロフィール
HN:
Annie
性別:
非公開
職業:
自営業
趣味:
LifeArt
自己紹介:
i can see the rainbow wherever i go
自由自治の国際派奔流ニャーツです
カテゴリー
P R
Copyright (C) 2026 one side, and another one All Rights Reserved.

Photo by (c)Tomo.Yun   TemplateDesign by kaie
忍者ブログ [PR]