in kyoto, in NewZealand, in Oz land,
be in adventures, is the life of mine at this moment
他人の誕生日の日に、その人に不愉快な想いをさせないことって、
最低条件、その人の「誕生日」に逢う約束をしたなら
意識すべきこと、ってのは
冷静に考えて 自然に浮かぶようなことではないのかな?
その人に不快な思いをさせようと わざわざ約束を取り付ける「近しい友人」もとい恋人ととか、
なんて稀に物凄い復讐心をもっているかもしれないけど
基本的に「そのひと」に喜んで貰おうと思ってる訳よね?
他の日ならば考慮が足りずに不機嫌だとか見せるのもあって致し方ないだろうけど、
そのひとの「幸せを感じていたい唯一の日」って仮に思ってみろよ?
どん底味わわすなら ハナから逢うなって。
本人の希望に沿う努力できないなら 押しつけるなって。
最低条件、その人の「誕生日」に逢う約束をしたなら
意識すべきこと、ってのは
冷静に考えて 自然に浮かぶようなことではないのかな?
その人に不快な思いをさせようと わざわざ約束を取り付ける「近しい友人」もとい恋人ととか、
なんて稀に物凄い復讐心をもっているかもしれないけど
基本的に「そのひと」に喜んで貰おうと思ってる訳よね?
他の日ならば考慮が足りずに不機嫌だとか見せるのもあって致し方ないだろうけど、
そのひとの「幸せを感じていたい唯一の日」って仮に思ってみろよ?
どん底味わわすなら ハナから逢うなって。
本人の希望に沿う努力できないなら 押しつけるなって。
前は、ブレンド とか キリマンジャロ とか、
モカ100%だとか 苦みとコク
全く気に留めてなかったし、だから意味もわからなかったけど
向き合ってみると 明らかになってきておもしろいなぁ…
だからって、「ぁあ~ラ、わたくし、かんこーひー や いんすたんと なんてものは戴きませんのよ オーホホ。」ってなりはしないし、
「それがしはエスプレッソ以外はくちにしないで御座るよ!!」と意志を固めたりもしない。
インスタントコーヒーも美味しいし
サイフォンやドリップ珈琲の深みも気になる。 それらの良さや、好みが人それぞれあるもの。
それでいうと、私はエスプレッソマシンで作る珈琲が好きなんやけど、残念ながら日本にはまだ多くはないし、ドリップやサイフォンほどに 手軽で安価でなく、ちょいとシャレオツなカフェだとかに行かないと無い。
ニュージーでは、駅前のスタンドみたいな所でもエスプレッソマシンで作ってたりする。
特にこれを「ハイカラー」なつもりで言う気はないよ。文化が違うのだと思うし
発達・未発達 の文化観点ではなく、「好み」や適性なんだと思うな。
ニュージーで珈琲を学んで間もない頃私は「NZやオーストラリアの方が珈琲の文化が進んでいて(日本は珈琲の文化としては進んでなくて)」みたいな言い方をしとった覚えがあるんやけど
深まってきた知識の中、最近は「珈琲をつくる方法が違ってて」「主流になってる淹れ方が違う」と表現するようになった。
前は、珈琲に学問的に興味はなかったし
(母が好きだけど)味にもこだわりなかったけど、研究心という枠の中で
こう混ぜたらこんな味、 この産地は酸味のつよい傾向、アラビカ豆だけではなくて少しロブスタを混ぜた方が良い、
って意識できるようになった。
興味のなかったことでも きっかけがあれば興味が深まってくるし
興味のある物事って、好きから始まる。