in kyoto, in NewZealand, in Oz land,
be in adventures, is the life of mine at this moment
今、30曲弱の歌詞を順番に頭にいれていってる。
バンドを作るにあたって最初にコンタクトを取ったピアニストが、
「歌詞を覚えなきゃ始まらない」と言っていたことが、私のパワーになってる。
歌詞を見ながらでも練習はできるし気持ちはこもるけど、
あたまに入った言葉を出しながら感情を入れるのはちょいと難度が上がるから、
それを越えると、もっと自由に歌を表現できるようになる。
ものすごく上手に歌う人でも、やっぱり下を向いたり譜面で顔を隠すのはパフォーマンスとして綺麗ではない。
で、ほんでもって私はロックに近いステージを作るのだから、もちろん全身で表現するつもりだ
私は文字文化で生きてきたので、字に書きおこすと覚えやすい。
あと、視覚のイメージと一緒に覚えると、やりやすい。
演劇のような台本を覚えるのはあたまが真っ白になって苦手なのに、
歌ならなぜか覚えやすいという不思議。
カラオケって歌詞を見ながら歌うのが普通だけど、
見ずに歌うと、案外と出てこないことを知ったり、
逆に、かつてよく歌っていたものを 突然暗譜でうたってみても覚えていたり
なんかおもろい。
スタジオで練習は、緊張はしないけど
歌詞は急に出てこなかったりする。
でも、ひとり以外は英語話者なので
けっこう実は適当に日本語歌詞をごまかしたりしてる笑
あかんけどね
やし、今順番にきちんとあたまに入れていってるところよ。
バンドを作るにあたって最初にコンタクトを取ったピアニストが、
「歌詞を覚えなきゃ始まらない」と言っていたことが、私のパワーになってる。
歌詞を見ながらでも練習はできるし気持ちはこもるけど、
あたまに入った言葉を出しながら感情を入れるのはちょいと難度が上がるから、
それを越えると、もっと自由に歌を表現できるようになる。
ものすごく上手に歌う人でも、やっぱり下を向いたり譜面で顔を隠すのはパフォーマンスとして綺麗ではない。
で、ほんでもって私はロックに近いステージを作るのだから、もちろん全身で表現するつもりだ
私は文字文化で生きてきたので、字に書きおこすと覚えやすい。
あと、視覚のイメージと一緒に覚えると、やりやすい。
演劇のような台本を覚えるのはあたまが真っ白になって苦手なのに、
歌ならなぜか覚えやすいという不思議。
カラオケって歌詞を見ながら歌うのが普通だけど、
見ずに歌うと、案外と出てこないことを知ったり、
逆に、かつてよく歌っていたものを 突然暗譜でうたってみても覚えていたり
なんかおもろい。
スタジオで練習は、緊張はしないけど
歌詞は急に出てこなかったりする。
でも、ひとり以外は英語話者なので
けっこう実は適当に日本語歌詞をごまかしたりしてる笑
あかんけどね
やし、今順番にきちんとあたまに入れていってるところよ。
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どんなきれい事を言ったって
過去に自分がした出来事は忘れてしまいがちだから。
なんだか私は文章で反芻するからか、
なかなか過去のことを自分から放すことができない作りをしているようだよ
記憶が生まれ出ずった幼稚園の断片から始まって
小学生の時にどのように人間と対峙し分析していて、
その考え方が今もそんなに変わっていないから
ある軸を中心に自分が成長も退化もしていないように感じる。
でも周りは変わっていくから、
最近は若く見られる!!!!笑
…精神的に幼いということ!!!!!
小学生の頃は、ずいぶんと周りを幼く感じていたクセになぁ。
なんというませた子供だったろうと自ら思うくらいよ。
きっと、高校2,3年止まりな感じな思考なの、ずっと。
過去に自分がした出来事は忘れてしまいがちだから。
なんだか私は文章で反芻するからか、
なかなか過去のことを自分から放すことができない作りをしているようだよ
記憶が生まれ出ずった幼稚園の断片から始まって
小学生の時にどのように人間と対峙し分析していて、
その考え方が今もそんなに変わっていないから
ある軸を中心に自分が成長も退化もしていないように感じる。
でも周りは変わっていくから、
最近は若く見られる!!!!笑
…精神的に幼いということ!!!!!
小学生の頃は、ずいぶんと周りを幼く感じていたクセになぁ。
なんというませた子供だったろうと自ら思うくらいよ。
きっと、高校2,3年止まりな感じな思考なの、ずっと。
歴史の中の人間の争いを考えるに当たって、
ひとは身近なものに情を感じる故、やはり自分の国に対しての想いが強くなるのは自然と思うのだけど
(情報化社会で世界が均質化される中で、その感覚も稀釈されているように思う)
今、オーストラリアに暮らして、トルコ、イタリア、韓国、フィリピン、ベネズエラ、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア
近しく話をする友人達の故郷が、世界の様々なところにあるために
自分の国について考えることも 主観・客観視共に増えてくる。
とりわけ、第二次世界大戦について考えたとき、日本に起こった歴史的な事実に対して祈りを思うのだけど、
無下に祈ることは、我が身のためだけに祈っているかのような感覚にあって、
これは、職場の同僚で、よく話をする韓国の女の子や
音楽の活動を共にするフィリピンの仲間たちを意識する中で
日本ばかりが被害者ぶるなどということが なんだか烏滸がましく感じられたからだ。
歴史的に大きな事実であることは、アメリカが誇示をした為であったり、
もちろん私達は日本に起こった出来事に敏感だからであるけれど、
日本が他国にした出来事は、その国では恐らく、傷跡として理解されているのだろう。
だから、祈りを届けたい気持ちは放射的に 近いところから遠くまで伝播することを願うばかり。
以前フィリピンに行って、日本がこの国にしたことを垣間見ることが出来ていて、良かった。
今、オーストラリアに居て、音楽や料理の仕事による変化だけでなく、きちんと多民族、多文化、多国籍のなかにいる日本人という私を熟考する機会を得られて良かった。
ひとは身近なものに情を感じる故、やはり自分の国に対しての想いが強くなるのは自然と思うのだけど
(情報化社会で世界が均質化される中で、その感覚も稀釈されているように思う)
今、オーストラリアに暮らして、トルコ、イタリア、韓国、フィリピン、ベネズエラ、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリア
近しく話をする友人達の故郷が、世界の様々なところにあるために
自分の国について考えることも 主観・客観視共に増えてくる。
とりわけ、第二次世界大戦について考えたとき、日本に起こった歴史的な事実に対して祈りを思うのだけど、
無下に祈ることは、我が身のためだけに祈っているかのような感覚にあって、
これは、職場の同僚で、よく話をする韓国の女の子や
音楽の活動を共にするフィリピンの仲間たちを意識する中で
日本ばかりが被害者ぶるなどということが なんだか烏滸がましく感じられたからだ。
歴史的に大きな事実であることは、アメリカが誇示をした為であったり、
もちろん私達は日本に起こった出来事に敏感だからであるけれど、
日本が他国にした出来事は、その国では恐らく、傷跡として理解されているのだろう。
だから、祈りを届けたい気持ちは放射的に 近いところから遠くまで伝播することを願うばかり。
以前フィリピンに行って、日本がこの国にしたことを垣間見ることが出来ていて、良かった。
今、オーストラリアに居て、音楽や料理の仕事による変化だけでなく、きちんと多民族、多文化、多国籍のなかにいる日本人という私を熟考する機会を得られて良かった。
8月
70年前の今日と、ご先祖様の魂に祈りを思う月。
けど世界のいろんな所に、知人友人が増えてくると
日本に起こった歴史にだけ祈るのは、なんだか違うような気がしてきた。
だからって全てのことに想いを捧ぐことは身ひとつでは適わないので
身近に届ける気持ちが連鎖していけば良いと願う。
I pray for a moment of 70 years ago.
for me, August is the month of praying. Because we have "obon" in Japan. It's a season that ancient souls visit our world.
And also August is a month that we experienced historical moments.
But recently I've started wondering why I only pray for my country while meeting lots of people of the countries all over the world.
Even so, I only have one life and small capacity,
All I can do is starting praying for closer people to me.
"close" means not the people only in my country, but the people who I've had a precious time with.
I hope it connects to the next person and the next.
in other words,
I will pray for all over the world someday?
I wish that my talking is not a story about a dream.